安谷屋ライオンズ PICK UP! TEAM

安谷屋ライオンズ

2015-06-14

県大会の悔しい負けが、琉球新報杯の優勝に繋がった

平成24年、25年と県大会に出場している名門安谷屋ライオンズも、マック杯と呼ばれる春の県大会出場は初めてであり、気合十分で望んだ初戦は、強豪大里シャークスの前に0対3で最後の攻撃を迎えなければならない苦戦を強いられるが、ナインの誰一人として諦めてはいなかった。一死一塁から5番の玉城蓮が三塁打を放つと、次打者のショートゴロで玉城が生還し1点差。さらに下位打線が驚異的な粘りを見せて全ての塁上を埋めたのだ。「ホントに凄い子たちだなと。でも最後は相手が一枚上だった。」と、試合での指揮を任されている玉城コーチは「あと一歩」を振り返ったが、その敗戦がナインをさらに強く、且つたくましく成長させた。

中部南支部琉球新報杯(以下新報杯)の初戦と次戦を快勝したライオンズは、準々決勝で中城マリナーズと対戦。延長9回を戦った両者はどちらも一歩も引かず勝負は抽選へ。辛くも5票を得てコマを進めたライオンズの次なる相手は西原東BBC。「ブロック大会の決勝で敗れたのが西原東さん。その良きライバルとぶつかったことで、子供たちが闘志を燃やした」(玉城コーチ)。初回、1番の瑞慶覧史希が左中間へ三塁打を放ち打線に火をつけると、長短5安打を集めて一挙4点を奪い、6回コールド勝ちで決勝へ進出。その勢いそのままに、宜野湾BBK戦も3対2で勝利し、ベンチも父母も歓喜の涙を流す嬉しい大会初優勝を果たしたのだった。

比嘉丈人、宜保智輝、古堅玲成の3本柱は、他のチームでも十分エースとして通用するほどの力を持つ。それでも県大会では跳ね返された。課題だった打力アップのため、バットを振り、ボールを打ち続けてきた結果が、新報杯の5試合で積み重ねた23得点(延長除く)でもあった。それにライオンズ伝統の守りの野球に加え、最後まで諦めない粘りが今のチームにはあふれているが、その精神を形作った一人の偉大な男を忘れてはならない。 ライオンズの創始者である前監督の棚原氏は、足を自由に動かせないというハンデを背負いながらもそれを言い訳にせず、座ってノックをするなど40年以上もチームを率いつつ、「野球が出来ることに、また親・仲間など周りの人々に対して感謝の気持ちを持つ」ことを教え続け、長年に渡って地域に貢献してきた。その恩師を右腕として支えてきた比嘉監督と玉城コーチも、実は棚原氏の教え子。棚原野球の「諦めない姿勢と感謝の心」は、世代を超えた若獅子たちに着実に受け継がれ、これからも永遠に輝き続けることだろう。

TEAM DATA FILE

チーム名安谷屋ライオンズ
創部1970年(創立45周年)
スタッフ比嘉信一郎監督、町田忍コーチ、玉城優記コーチ
部員数24名
練習日火、水、金、土、日
練習場所若松公園
モットー周りへの感謝の気持ちを忘れない

監督取材

玉城優記コーチ 安谷屋ライオンズ

1979年12月29日、北中城村生まれ。安谷屋ライオンズで主将としてチームを率いるなど、野球小僧として少年時代を過ごす。長男が2年生のときにライオンズに入部したことをきっかけに、20年振りにチームへ戻り、コーチとして比嘉監督を支えている。「自分自身まだ未熟者で勉強中。少年野球に携わる先輩方からの教えに本当に感謝」と熱く語る若き指導者だ。北中城村在住の35歳。

 

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