泡瀬ブルパーズ PICK UP! TEAM

泡瀬ブルパーズ

2015-07-20

糸数敬作投手を育てた歴史あるチーム

糸数敬作投手を育てた歴史あるチーム

「マリナーズの選手がウチに泊まりにきてくれて、ずっと野球の話で盛り上がりました。」とは一昨年、ブルパーズを卒団した渡慶次悠太くん(美東中二年)。はじめのうちは緊張していたが、夜が更けるまで、大好きな野球の話をし、友達になったという。福岡県那珂川町少年野球連盟に所属する那珂川マリナーズと、泡瀬ブルパーズの交流は10年以上になる。毎年12月に行われる沖縄市長杯かりゆし交流大会にマリナーズが参加するときは、その部員全てをブルパーズの父母の家で受け入れるホームステイを続ける。もちろん、夏休みなどで福岡県への遠征をブルパーズが勝ち取ったときなどは、その逆にマリナーズの父母の家々に、ブルパーズの選手たちがお世話になるのだ。まだ行ったことのない土地の野球少年たちと、白球を通して仲良くなれるチーム、それがブルパーズなのだ。

県外のチームともそうなのだから、当然チームメート間も仲良し。土日の練習が早く終わった(と言っても夕前の5時など)ときなど、小学校と隣接する黒潮公園で遊びに興じる。また、毎年ゴールデンウィークには久米島へ飛び、向こうのチームとの練習試合や夜の交流会など、とても思い出深い日々を胸に焼き付けることも出来る。渡慶次くんと一緒にグラウンドに来ていた三家本凱士(沖縄尚学中二年)くんも「楽しかった紅白試合などやらせてくれたブルパーズで野球が楽しくなっていった。」と声を揃えて語ってくれた。

3年前に監督へ就任した宮平氏は、「ちょっとの時間で前より上手くなるのが学童野球」と、可能性が高い少年野球の魅力を伝える。小学生なのだから、大人が言うことを理解する力はそれなり。だったら百回でも同じことを言ってあげようじゃないかと、言葉で伝えることを重視。子供達に伝わるまで何度でも繰り返す。「手を上げるのは簡単。でもやっちゃいけない。そんな忍耐も、もしかしたら僕らは子供達から教わるのかもね。」と笑う姿から、子供が好きだから教えることも苦じゃないというのが伝わってくる。

元日本ハムファイターズ糸数敬作投手(2013年引退)は、このブルパーズで野球を始め、中部商業高校で甲子園出場の夢を叶えると大学卒業後、プロ野球選手にまで上り詰めた。一握りの許された選手にしか見えない華やかな世界のスタートは、確かにこのグラウンドから生まれた。さぁ、次は君の番だ!

TEAM DATA FILE

チーム名泡瀬ブルパーズ
創部23年目
監督宮平政夫
コーチ桑江健、桑江誠
部員数32名
練習日月、水、金、土、日
練習場所泡瀬小学校
モットーモットー 守りを重視

監督取材

宮平政夫監督 泡瀬ブルパーズ

1962年10月1日那覇市生まれ。首里中学、真和志高校、沖縄国際大学で主に外野手として活躍。結婚を機に沖縄市へ。長男が小学校3年生のとき、ブルパーズに入部したのをきっかけにチームへも積極的に関わるようになり、3年前に「一番年上なんだから、とみんなに言われて(苦笑)」監督へ就任した。

 

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